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宇宙人

2018/04/15
宇宙人が地球人に転生していることもあるのだそう。

地球人が地球人に転生して、どこかの段階で、

宇宙人の魂が入り込んでくる、憑依型?のような

ケースもあるのでしょうか。


地球人は地球人に転生しているのかと思っていたので、

宇宙規模で転生するのか、

輪廻転生とは壮大なものなのだなぁと思いました。

宇宙も含め、生態系ということ?


そして、宇宙人が地球人に転生した場合、

違和感、生き難いと感じながらいる場合が多いとか。

宇宙人は、地球人より、人も文明もハイレベルだから?

スピリチュアルな世界でいう高次の存在?が

この世界に来たら、あまりにも未熟なところが多く、

そう感じてしまうのでしょうか。


指折りながらやっと足し算が出来る年頃と、

暗算で導き出せる年頃が違うように、

知能、知識、意識のレベル、感情、精神面でも、

大きく異なるのでしょう。


そして、宇宙人にも星によって特徴があるとか。

それらも含めて、日本人、アメリカ人、1月生まれ、

おうし座、A型…って言うのと同じではないのか。


私の中では同じです。

なぜなら、自分は自分だから。

そんな大きな括りで、個人を決めていない。

私は地球人かもしれないけど、私は私。

地球人が私一人であれば、地球人=私だけど、

そうではない。


宇宙人は少数派で珍しいのかもしれないけれど、

宇宙人だからとそこに拘って、そこに当てはめて、

そこにばかりフォーカスして、

「だから生き難い」と言わずにいて欲しいと思う。


それに、自分が宇宙人だと解かっているのなら、

今世の使命や意味も解かっているのだろうから、

まだ良いのではないか、と思うこともあります。


宇宙人ではなくても、違和感、生き難さを

感じながらいる人は多いように思います。

常に違和感、生き難さを感じながらいる場合、

所々違和感、生き難さを感じながらいる場合。


自分の思うように出来ない事、上手くいかない事、

他の人のように出来ないこと事、

伝わらない感覚、交わらない感覚…


文化、宗教観が違えば、戸惑い、違和感があって当たり前。

その違いをどうして周りは分かってくれないのだろう、

理解してくれないのだろう、と思うのだろうけど、

自分が感じる感覚と、人が感じる感覚は、違って当たり前。

なぜなら、自分ではないから。

全く同じに感じてくれることは、そもそもないと思う。

似てる、同じだ、と思っても、自分と他人の歴史は違うのだから、

完全に同じはない、と思う。


高次の存在には、この世界で関わる人達、環境は未熟過ぎて、

心を痛めたり、満たされなかったり。

当たり前にあったものがない世界は、

どんなにか辛いものかもしれません。


でも、自分が宇宙人だと気付かずにいる人や、

転生云々そもそも意識していない人で、

違和感、行き難さを感じている人よりは

自分がどうすべきか分かっている分、

良いとも言えるのではないかと思うのだけれど、

そんな簡単なことではないのかな…


違和感、生き難さを嘆きながらいるより、

違和感の元は何か、

どうすればこの生き難さを軽減できるか、転換できるか、

模索しながら、自分で自分のケアをしながら、

生きられれば良いな、と思います。


そんなレベルの違和感ではない、

そんなレベルの行き難さではないのかもしれないのだけれど、

この世界の全てが、高次の存在レベルに

急激にレベルアップしない限り、

この世界にいる以上、そうするしかない。


郷に入っては郷に従え、ではないけれど、

そうした中から何か気付けるかもしれない。


得られないものを並べ、飢えて渇望するばかりではなく、

まずは、目の前に在るものに感謝したり、歓びを感じられるように

見出して行くのが良いように思う。



中には、違和感、行き難さを手放せずに

いる人がいるように思う。

苦しいのは本当なのだろうけれど、

生き難いと言いながら生きていくのが、

気に入っているように思えてしまう人が、

いるように感じることがあります。


手放す術が分からず、苦しんでいる人と、

手放す術はどこかで分かっているのに、手放さない人。

後者には、どこか、全ての言い訳の元として、

置いておいているように、感じてしまうことがあります。

それともアイデンティティ?

どうか、それを全ての言い訳の元にせずに

いて欲しいと思う。


専門家でもなく、知識もなく、癒す特別な力もない私は、

少しでも、その人達の心が、健やかで平和なものになるよう

祈ることしかできないけれど。


少しでも光を感じることがあれば、

それが少しでも増していくように、

少しもないと感じているのなら、

少しでも光を感じることが見つかるように。


もし私の身近にいたなら、

同じ辛さを感じ取れなくても、分からなくても、

心を寄せ続け、見ていてあげようと思う。

少しでも、心が健やかで、平和なものになるよう、

闇に飲まれないよう、光が届くように祈りながら。

その先に、私が出来ることが見えてくる時が来ると思う。



最低の中から最良を、とまではいかずとも、

事故で左手を怪我したけれど、

利き手の右手でなくて良かった、

と思えるような考え方で生きていった方が

良いと思うのです(例えが変)。



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